2026.7.2
徒歩通勤のススメ(前編)

メンバー
執筆/撮影

岡部 健二
TD

「毎日、片道45分かけて徒歩で通勤している」と話すと、たいてい驚かれる。
なぜこの話題になるかというと、私に取り立てて言うべき特徴がこれくらいしかないから。
もう1つ考えているのは、「この人も歩く人になってくれないかな」ということ。
この記事もまた同じ思惑で書かれている。
「なぜ歩くのか」 人類の壮大な歴史とともにある問いだが、この記事においては私のささやかな日常とともにお伝えしていきたい。
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私のとある週の平均歩数。 大体1万歩くらい。 (週末も家族含めよく歩く)

45分歩くとどこにいける?
まず、45分歩くとどこに行けるのかのイメージを共有したい。
以下は、完全に私の感覚でしかないが、中心の駅をスタート地点として歩き始めたらどこまでいけるかを示した図である。
「けっこう広い」と思ったのではないだろうか。


なぜ歩く?
本題の、なぜ歩くのか。
「心身の健康のため」は今さら言うまでもないので、自分なりの理由を挙げると以下のようなことになる。
移動時間が外部要因に左右されない
これが徒歩通勤を始めたいちばんの理由でもある。
電車やバスが苦手(人多い、遅延する)で、もともとは自転車通勤をしていた。
が、自転車だと雨の日には結局電車になってしまい、通勤時間が天気に左右されてしまう。
そうして、すべては自分の脚次第という徒歩スタイルにたどり着いた。
実際、同じ道を通れば±1分という精度での通勤が可能だ。
そして、意外と速い。
電車通勤の人にたまに言うのが以下。
「駅まで数分歩く
→ 駅で数分待ち
→ さらに電車に揺られ数分
→ 駅から会社までまた数分歩く。
最初から全部歩くのと、
そんなに時間変わらなくない?」
これを言われた相手はたいてい「まあたしかに…。」とは言ってくれるものの、それで歩くようになった人を私は知らない。
さらに、私はこの徒歩通勤45分 = 往復1.5時間をバッファと捉えている。
仕事が詰まって限界を迎えた時、これを自転車なりタクシーに置き換えることで、1時間ほど時間を生み出すことができる。
このライフハックを駆使して、あまたの危機を乗り越えてきた歴史がある。
奥深い
歩き方、歩くための道具。
知れば知るほど奥深く、おじいさんになるまで続けられるかもしれない趣味として、極めるに足る道であることがうれしい。
どうしたら疲れずに長く歩けるか、どうしたら真夏に汗をなるべくかかずに歩けるか。
その工夫をするのが楽しい。
深いと言いつつ、浅めのグッズ紹介をする。
形から入るのが好きな人におすすめなのが「ベアフットシューズ」。
直訳すると「裸足感覚の靴」。
ソールが薄く前傾しておらず、指先が自由に動かせるのが特徴。
「裸足の何がいいの?」に対する答えとしては、「つま先ギュウギュウの靴で立つ・歩くことは、手をグーにして逆立ちしているようなもの、パーにして指先でバランスとるほうが自然だよね」というのが個人的には納得感がある。
vivo barefootやALTRAなど王道どころを履いているが、歩くための靴で歩くとまた気分が変わるものだ。
道が好き
微地形が好きで、東京の全ての道を歩きたいと思っている。(手始めに東京のすべての電車の駅に降り立つことを目標にもしている)
そんなことから、毎日微妙に違う道を通っているのだが、45分ともなれば、1,2分の遠回りは誤差なのでバリエーションは豊富になる。
許されるならジョブスのように毎日同じ服を着たいタイプだが、毎日違う道を選ぶことはしたいらしい。

考える
歩く時間 = 考える時間として、とても大切にしている。
たいていラジオかpodcastを聴いているが、途中からほぼ何も頭に入らずに、様々なことに思いを巡らせている。
この歩いている時間が1日の中で唯一ゾーンに入れる時間ともいえる。
適度に体に動かすことや足裏からの刺激、時速5キロで流れる景色。
とにかく歩くことが考え事をするのにピッタリという説はいくらでも見つかり、実際にこの効果は実感している。
特にプログラムに関しては、歩いているうちにほぼ完成するケースも少なくない。
(最近はClaude Codeをいじくり回しながら歩いているので、このままではだめだと思っている。)
思いつく
考えることとセットだが、何かを思いつくというのがこの徒歩通勤中であることが多い。 「この坂を登りきったときにあれ思いついたなあ」といったように場所の記憶と結びついてプチ思い出の場所が日々増えている。
今回の記事用に写真を撮りながら歩いて気づいたことだが、朝の光は横から差し込んでいて、以下の写真のような予感に満ちた曲がり角というのが頻繁にある。いちいちそんなことは考えていないが、「この角を曲がったらどんな光が待ってるんだろう」というちょっとしたドキドキみたいなものが何か良い作用をもたらしている気がしてならない。


おわりに
以上、私が歩く理由をつらつらと挙げてきた。
前述の「ドキドキ」みたいなことは当然調子のいいときだけで、たいていは薄曇りの中を、心もどんよりしながらとぼとぼ歩いている。
ただ、それでも足を交互に前に出しているだけで、「何かやってる自分、えらい」ということにして日々をやり過ごす。
気力0%でスタートしても、45分歩けばなんやかんや必ず1%くらいは回復する。
と、信じ込むことにしている。