2026.10.29

Webサイトをひとがつくる時代は終わるのか。

メンバー

執筆

イム ジョンホ

イム ジョンホ

CEO

目次

2025年、AIによってパッとつくられたもので溢れかえる日々が始まった。

自分の写真をジブリ風にしてみたり、思いつきの映像を作ってみたりと眺めてても楽しかったし、試してみても楽しかった。

しかし、しばらくするとAIの爆発的な性能アップでタイムラインは「AIでこんなに短い時間でここまでできちゃった。」みたいなもので溢れて来て、そのうち自分たちの仕事を脅かす存在として本格的に意識されるようになってきた。

加速的にAI性能がアップした2026年3月くらいになると、プログラミング的なことが苦手な自分でも触らないと始まらないということで、焦り気味に様々なAIツールをいじったり、全社にAIを使っていこうという号令をかけたりと向き合い始めた。(もちろん、エンジニアを中心にAIツールは普及されていた。)

10月に思い立って自社サイトをリニューアルすることを決め、自分でFigmaで言いたいことをまとめて、それをChatGPTやClaudeに読ませて構成の叩き台をつくってもらったり洗練させていくための壁打ち相手として私と違う示唆をあたえてもらったりもしながら、サイト完成までにずいぶん助けてもらった。

結局、自分が言いたいことを探し当てることを手伝ってもらっただけで、目指していたことの真ん中は自分の頭の中にあったことだった。

AIから与えられた示唆が役に立ったことは確かだが、誤解を恐れずにいうと
時間をかけたら辿り着く先はそんなに違くないものだと確信できる。

なぜかと問われると、何が言いたいのか何を感じてもらいたいかは自分の中にあり、
AIに言われたことで納得することはあっても、AIが「いい」って言ってくれたから
全部「いい!」とはならない
のだ。


AIによる制作ができるようになって、レイアウト、コーディング、イラストレーションなどなどと人間より素早くある一定のレベルの制作物をつくることが容易になってきた。
もちろんめちゃくちゃスキルが高いひとはより高い次元のアウトプットを出せるようになって来たが、どうも自分でやってる気がしない。そして、AIが出してくれるアウトプットに人間が勝てないような気がして、鬱になるというような現象がある。

確かにこれだけAIで世の中が変わるとそう思うのもわかるというか、私自身もそうなっていた。そんな中、スタッフと話していて、ふと思ったことがある。

「そもそも何でつくり始めたんだっけ?」と

私はよいデザインを見て心が動かされ、「私もこんな素敵なものをつくりたい。」と思い始めたんだった。

30年近く前にウェブが新しい表現として、そして新しい情報伝達手段として広がり始めた頃に、「うわ、こんなかっこいいデザインで、映像や音を掛け合わせて表現してるこのサイトはどうやってつくるんだろう?」と思い勉強を始めてた記憶がある。
感動したのは技術でなく、つくり手の「意図」が反映されたアウトプットであることが今はわかる。

今も別にFigma や AIツールをいじるために仕事をしてる訳じゃない。(駆け出し時はPhotoshopをいじるだけでも楽しかったけど。)
結局は世の中に届けるために、何か機能するものを目指しつくり続けている。

ひとびとは約4,500年前のエジプトで600万トンものピラミッドをつくり、石像や壁画、象形文字で表現し、伝えようとしてきたし、約2,000年前のローマではコロッセオを建て、中世のヨーロッパでは何百年もかけて大聖堂をつくってきた。今もなお建築、料理、映像、静止画、文字、音などあらゆる手段でひとびとは表現をし続けている。

こんな長い年月をかけて、表現の道具が彫刻刀から筆に、筆からIllustratorに、IllustratorからAIへと変わって来てはいるものの、結局やりたいことは表現し、伝えることであり、手段が目的になることはないのだ。

なぜ、ひとはAI時代に約136kgの撮影装置で、640km分のフィルムを使い映画を撮るのか?

最近、感動した逸話のひとつは、映画監督クリストファー・ノーランが『オデュッセイア』で、
防音装置まで含めると約136kgにもなるIMAXカメラを使い、約640km分のフィルムで映画全編を撮り下ろしたことである。
デジタル時代、AI時代にわざわざ東京から広島までの距離のフィルムを使い撮り下ろしていることは愚かなことなのか。

監督は頭の中のイメージや目指している解像感があり、それを実現できるのはIMAXフォーマットが最適だと判断したからこそ、その選択をしたのである。約18mの想像上の巨人さえ、巨大なパペットをつくり、俳優の演技やVFXも組み合わせて表現したことを誰がバカにできるだろうか。
できない。だって、アウトプットの出来が圧倒的でひとの心に刺さりIMAXの興行記録を塗り替えてるんだから。

「この時代にこんなアナログでつくってすごいでしょ?」って言われても、できたものがダメなら滑稽なだけである。

結局「AIがー」じゃなくて、ひとが目指しているビジョンや判断がなければ、責任を伴うアウトプットはできないのだ。誰もAIから言われたからと言って納得なんかしたくない。

もちろん、AIはこの時代において効率や豊かさをもたらすと思っている。自社でも社内ツールを自作したり、制作にもがっつり導入している。

AIを「道具のひとつ」として扱えるように準備し、何のためにつくるのかを自問自答し、つくるたびに明確なビジョンを示せるように考え続ける。

ひとびとが車や鉄道、飛行機を手に入れて人生における行動範囲が圧倒的に広がったように、AI時代になり自分だけじゃ辿り着けない領域に少しは楽に、いやだいぶ楽に辿り着くようにはなった。
だからこそ、私たちは自分で考えることを止めずに、AIを使いこなし、意思を込め続けることが大事なんじゃないかと強く思う。

今はまだAIツールの目まぐるしい発展に目を奪われていらない考えがよぎることは多々ある。
でも思い出してほしい。あるいは想像してほしい。
30年前くらいにインターネットが出てきた時だって、伝達手段が紙から eメールになった時だって、スマートフォンが出始めた時だって、どこかの誰かは不安になり、使う側もうろたえ認めたくない存在として扱った人々だってたくさんいた。

検索のゼロクリックが70%に近い時代。ウェブサイトなんてみない。自分だって見ないって思ってる方へ。

ウェブサイトをつくる仕事も同じだ。
AIに脅かされ、ゼロクリックが70%に迫る今、私たちはもっと想像力を働かせなければならない。自分の子供を通わせようとしている学校や塾などを決める際にAIまとめだけではなく「彼らは、実際なんて言ってるんだろう?」って気にならないだろうか。

就職を考えている企業もそう、めちゃくちゃ高い買い物の車を買う時もそう。よく考えれば必要に応じてみてるし、使い分けているのだ。

私もブランドや企業のウェブサイトは普段ほとんど見ていない。でも、見るタイミングは必ずどこかであるのだ。多くの人が訪れていたウェブサイトの役割が変わってきただけであり、それを意識しなければならない。

AI時代だからこそ、企業やブランドが自分の意思を自分たちの語り口や表現で見せる場所が大切であることを、私たちも認識すべきだし伝えるべきである。

人類の歴史レベルのスケールで言ったら、数えきれないくらいの環境の変化があったはずで、AIの出現はつくり手にとって、結果的には「よいこと」になると信じている。
私たちが想像し、考え続け、判断を諦めない限りは。

つくることではなく、課題の解決が目的です。ぜひお悩みからお聞かせください。

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